21世紀は中国の世紀か?〜もうどうにもとまらない

上で紹介している木走さんの数日前のエントリで以下の言葉が使われています。

21世紀は中国の世紀

個人的にはまさにその通りになるのでは?後世の人はそう形容するのでは?と思います。感情とか人道とかあいまいで直感的な良さ/悪さ、ひっくるめて、国家のたどる道筋、終着点*1がどうであれ、中国のパワーを否定することはできないのでは?と。

石原都知事 アメリカ 中国に勝てない - Google 検索

と、結構物議をかもし出した石原都知事の発言をぐぐって見るといろいろ意見があります。*2とりあえず、勝敗なんか問題でなくて、自分と提灯持ち以外の全世界と喧嘩やらかすかもしれない、いい勝負するかもしれない、と、他から思われている時点で別格なんだと思います。どこのだれが他にそんな風に思われるって。

「安価な労働力」とか「西欧諸国を技術の面でも追いかける」とかイメージすることが遅れている、そのような言葉で連想するのは既に中国ではない、とかあるのでしょうが、中国というか、中国人のパワーには同等の環境でも他のアジア民族と一線を画すものがあると思います。

*1:国に「終」という概念を持ち出すこと自体尋常でない連想ですが。会計での会社と同じく、国は基本的に「永続」することを前提としていてまっとうな、平和な状態では「区切り」はあれど、「終わり」は想定すべきものではないはずですから。

*2:先入観ばりばりの意見とかあって、これはこれで面白い。「まるで国内でも反応されなかった都知事の発言」というようなことを言っている人は、多分頭の中に「バーチャル世論」があるんでしょうね。